日本語が読めるうちに泉鏡花を読んでくれ。

気が向いた時に自由に推したいものについて書き殴ろうというコンセプトにならないコンセプトの当ブログです。

今回はぐっと文化的に見えそうなテーマですが内容は大して変わりません。文豪について駄文で語る畏れ多い事態ですが見逃してください。毒にも薬にもならない記事を目指してます。


皆さんは泉鏡花という作家についてどの程度ご存知でしょうか。最近は文豪もイケメンになってゲームやアニメになっていますが大体泉鏡花のキャラクターはいます。名前がかわいいからだと思ってますけど、それはさておき現代でも色々な場所で目にする日本を代表する文豪のうちの一人ですよね。しかしこんな記事を書くことになった私も少し前までは大体可愛い見た目にされる人という程度の認識しかありませんでした。なんか高野聖とか教科書に載ってたけど扱わなかったなあとか、太宰みたいに思春期に通りがちな作家(馬鹿にしてないです私も読みました)というわけでもないし、芥川とか漱石とかみたいにキラキラメインストリートという印象もなぜかない……彼らがメインストリートかは知りませんが。いや泉鏡花も王道ですけどね?!教科書に載るくらいだし。でも敢えて鏡花を読もうとかいう気になるのってよっぽど本が好きな人だと思います。今泉鏡花にハマってるんだ!とか言っても「あっ…そうなんだ、私はよく知らないけど」みたいな反応をされそうですよね。あとは二次元の話だと思われるかですよね。偏見すみません。

でも私は泉鏡花を推したい……。日本人に生まれたからには、日本語を母語に持ったからにはぜひ鏡花を読んでほしいと思うんです。


泉鏡花という作家の面白いところって、独自の作風で同時代の作家たちとはちょっとズレた地位にいるというか、まあよく言われることではあるんですけど、とにかく立ち位置が特殊なんですよね。ジャンル的な意味でも、系譜としてもですが、幻想文学の先駆者で、昭和のアングラ文化にも繋がっていくような感じがあるというか。その一方で泉鏡花に影響を受けた作家はものすごくたくさんいて、三島由紀夫が鏡花を絶賛している文章とか面白いんですよ。私は三島由紀夫がめちゃくちゃ推してるのを読んで興味を持ったくらいで。幻想文学ではない作家でも鏡花が好きとか影響を受けたとかいう人が多いのはすごいなと思うんです。まあ文豪って大抵そういうものですけど、ジャンルを超えて愛されるというのは並大抵のことではないですよね。


文字ばかりで疲れてきました。画像を入れたい……。
泉鏡花の文章について勝手に語ります。特に専門で研究をしているわけではないのでとてもいい加減です。絶対に鵜呑みにしないように。

まず鏡花の作品は文語体のものと口語体のものがあります。文語体の作品は台詞は口語なので正確には両者の混合ですが面倒なので文語体ということにします。完全文語体の作品はあるのかな?知識不足ですみません。
文語体は少し敬遠しがちかもしれません。舞姫とかどう考えても古典だろと思ってました。入り口として文語体の作品を選ぶのはそんなにオススメしません。好きなものから読むのがいいと思いますが、あえて選ぶ理由はそんなにないかと。あと戯曲もこれまた特殊なので普通の文学として楽しむなら小説から選ぶのが無難でしょう。
鏡花は短編もたくさん書いています。いきなり長編よりは短編で文体に慣れたほうが読んでいきやすいです。短編って気軽に読めるから結果的に量も読みやすいと思うのでもっと流行らないかな。
鏡花作品でよく言われる幻想的で独特の文体というのは大体口語体の文章を指していると思います。ていうか文語体で独特とか言われてもよくわからない。
私が読んだ感想では、読点が多くて句点が少ないな、と思いました。読点で区切られるリズムの良さと、それらがひとつながりになって流れていく文のうつくしさが読んでいて心地よいです。鏡花本人も文章のリズムや言葉の音というのはかなり意識していたようで、”水には音あり、樹には声ある文章を書きたい”と『おばけずきのいわれ少々と処女作』というエッセイで語っています。

鏡花作品は内容がどうというより言葉の美しさに浸るものだというようなことを確か三島由紀夫が言っていたと思いますが、本当にその通りだと思うんです。内容は掴みどころがなくて不思議な雰囲気のものが多いし、結局よくわからんな……っていう感じだったり、何度も読まないとわからなかったりするものが多いんですが、文章がひたすらに綺麗で、うっかりすると向こうに引きずり込まれてしまうような引力があるんですよね。中島敦の『鏡花氏の文章』はこれまた面白いんですけど、泉鏡花の文章の持つ魔力みたいなものを非常にわかりやすく書いています。べた褒めじゃないですか……。もうこれ読んでもらえれば敢えて私が述べる必要もないんですが。

初めは読みづらいし、内容もよくわかんないし、なんじゃこりゃみたいに思いますけど、読めば読むほどその魅力に憑りつかれて寝ても覚めても鏡花、1週間くらいずっと読み続けるみたいな中毒症状を呈してしまう危ない力があるんですよ。鏡花を研究する人は相当精神が強くないとダメだろうと思いますね。だって耽溺してしまうもんな……。無理無理。
私が最初に読んだのは高野聖で、これはなんか途中の森でヒルが大量に降ってくる描写が素晴らしすぎてメチャクチャ気持ち悪かったです。鏡花作品によく出てくる不思議な力を持った綺麗な女の人の印象よりもヒルの印象の方が強いくらいで読むのやめようかと思った。
次に読んだのが『化鳥』という話です。これは結構短くて割と読みやすいので初心者にはいいと思うんですよ。私はこれでハマりました。
全編を通して少年の語りで進行していくのでほとんど全部台詞みたいな感じです。だから余計に鏡花のリズムの良さというのが際立って、するする読めてしまうんですよね。最近絵本にもなったのでそっちも読んでみたいです。
冒頭の文章は

愉快おもしろいな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくってもいや、笠を着て、みのを着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡ってくのは猪だ。

なんですが、もうここだけで茶碗3杯いける。
こんな文章が延々続くわけです。ここまで美しさに特化した日本語を滝のように浴びせられているとだんだん気が狂ってくるんですよ。なんだかわからない話だけれどただただ美しくて、幻想的で、何が現実で空想なのかもどうでもよくなるくらいに美しさの中に溺れてしまうような世界があるんです。
もちろん話自体も読み解こうと思えば色々と考察の余地はあるんですけど、それ以上に言葉そのものに魅力がありすぎる。日本語を母語に持ちながらこれを読まないという選択肢はほぼないです。中島敦も「読んで良いことはあっても悪いことはない」とか言ってるし……。べた褒めじゃん……。


それから鏡花作品に欠かせない要素と言えば、まず人智を超えた何か。
それは幽霊や妖怪のようなものであるときもあるし、人間の持つ力や人間によって作り出されたものであったりもします。
鏡花はとても信心深く、神仏や霊的なものの存在を強く意識していた人で、自身でも迷信家だと言っています。そういう思想が作品世界にもかなり影響していて、現実と幻想世界が交わるところを多く描いています。

そして、その不思議な存在として現れるのは高確率で美しく、妖しい女性です。
鏡花作品は女が出てからが本編と言っても過言ではないくらい大体綺麗な女の人が話の根幹に関わってきます。
鏡花は幼い頃に母を亡くし、その影響で摩耶夫人(釈迦の母)を特に信仰していたとか、母親の面影を重ねた女性が多く登場するとか言われます。でも母親が生きていた頃に美人のお姉さんを見た記憶がずっと残ってるとか言ってるので生まれ持った性質なんじゃないかとも思います。真相は誰も知らない……。
鏡花の描く女性像は、また多くが強い女性でもあります。世間の流れや周りの環境に抗い、己の信念を突き通そうとする人物であることが多いのは、物語の根底にあるのが近代化とそれまでの社会の対立といった構図であるのが大きいとは思いますが、こういった女性像は作品の魅力のひとつでもあると思います。強い女が好きです。


なお泉鏡花本人も相当面白い話が山のようにあってですね、文豪の中では比較的大人しい方ではあるもののそれなりにヤバいです。
重度の潔癖症だったのは有名ですがそれ以外にも強迫神経症の症状に悩まされること多々あり、紅葉先生がいなかったら死んでたのでは?くらいのことが自身のエッセイで語られています。他にも奥さんのことが大好きすぎるとか、紅葉先生が大好きすぎるとか、紅葉先生を馬鹿にされたからって徳田秋声を泣くまで殴るとか、まあ色々ありますよね。wikiだけでもかなりの情報量が……。
またエッセイが面白くて、私は『いろ扱ひ』が好きなんですけど、これは鏡花の読書遍歴が綴られていて、子供の頃に好きだった本の話や、学校で授業中にこっそり本を読んでいた話、父親に読むなと言われていた本を隠れて読んで叱られた話などなど、まあ色々面白い話がありますよ。読みたい本のレンタル料が高くて払えないからって塾の先生にもらった本か教科書かを売ったりとか結構悪いことしてるな!好きでたまらない本を抱いて寝るのはちょっと気持ちわかる。

あと私が一番脳波を乱された話をしておきますね。
鏡花と仲が良くて挿絵も手掛けていた小村雪岱という画家がいるんですが、その方曰く、「ちょっと勝気な美女が男装したような感じのする」らしいですよ。小村雪岱wikiに書いてあるってそんなことある??とんだ爆弾だよな!ちなみに小村雪岱の絵もすごく素敵なのでぜひ見てほしいです。


本人についても掘り下げようと思えばどこまでも掘り下げられるんですがとりあえずこの辺りにしておいて。
やっぱり日本語が読める人生のうちに泉鏡花は読んでおいた方がいいですよ、絶対。昔の作品ですが、日本語の幅を広げてくれると思うんです。現代に生きて現代の言葉を使う私たちにとっても日本語の奥深さを考えさせてくれて、新しい表現を見つけるきっかけにもなるんじゃないでしょうか。古いからといって読まないのはあまりにももったいない。日本語が好きとか嫌いとか以前に、これを読まないで日本語について語るのはナンセンスであるとさえ思ってしまうような、そういう文章なんです。偉そうにすみません。でも絶対読んでほしい。強い女が好きな人も読んでほしい。
どうですか、最近読む本に悩んでる人、日本語に飽きてきた人、泉鏡花は知ってるけど読んだことないという人。
絶対死ぬまでに泉鏡花を読んでくださいね。中毒には気を付けましょう。それではごきげんよう